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道徳の教科化

こんにちは。陽塾代表の原田基生です。

21日、中央教育審議会が道徳教育の教科化について下村文部科学相に答申しました。
それは、小中学校の「道徳の時間」を、数値評価を行わない「特別の教科」に格上げし、検定教科書を導入。早ければ平成30年度からの教科化を目指す、というものです。

わたし自身が小中学生のとき、学校での「道徳の時間」は、こう言っては失礼ですが何かマイナーな印象があり、あまり真剣に取り組まなかった記憶があります(すみません・・・)。

答申の中では、現在道徳の指導は現場に任されていて、学校や教師によって指導内容の格差があることや、道徳の時間が他の教科の時間に比べて軽視されがち(まさにわたしの小中学生だった時の意識です)であることなどが指摘されています。

今後いろいろ課題は出てくるでしょうが、わたしは学校が道徳教育に真剣に取り組むことには賛成です。
「教科化して成績をつけることになると、大人の顔色をうかがう子になってしまう恐れがある」との声もありますが、わたしは「大人の顔色をうかがえる」ということは「正しい行動」「とるべき行動」を知っている、ということなのでそれはそれでいいと思います。
つまり社会的・人道的に「正解」とされる「ルール」「マナー」を「知る」ことがまずは重要であると考えます。

もちろん、心がこもっていない行動は良いことではありません。しかし少なくとも、社会的・人道的「正解」を知っていれば、「きちっとしなければいけないとき」にはきちっとできると思います。
しかし最近は、その「正解」すら知らないのではないか、と思うことがあります。

例えば「電車で席を譲る」という行為。
座っている自分の前にお年寄りが立ち、それに気づけば、「席を譲った方がいい」と思えるかどうかです。こう思ったが、結局恥ずかしくて言い出せず、席を譲れなかったとしても、わたしはまずはよしとしたいのです。「正解」を知っているからです。
問題なのは「何も感じない」という、「正解」を知らない状態です。こうなるともう「席を譲る」という発想はないので、本人も何ら悪びれるところがありません。これは、道徳教育が身についていないというゆゆしき事態です。

道徳教育は重要で、かつ時間がかかります。学校だけに押し付けるのではなく、保護者や塾や地域の大人もしっかりと子どもを育てていく姿勢が必要だと思います。

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