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子どもを信じない?

こんにちは。奈良県の広陵町にある陽塾の代表・原田基生です。

大手塾に勤務しているとき、上司に「子どもの言うことなんて信じたらダメですよ」と言われることがありました。

確かに子どもは裏切ります。
「やります」と言っておいていきなり次回に見事にやっていなかったり、やっていないのに「やったけどノートを忘れました」とウソをついたり、自己採点や相互採点のとき間違えているのにマルをつけたり・・・いろいろやってくれます。
わたしもよく裏切られます。むしろ裏切られることの方が多いかもしれません(笑)
冒頭にあげた元上司の言葉は確率論的には正しいと思います。

しかし、わたしには違和感があります。
子どもに対して、先に「信じない」から入ってしまうのがどうしてもイヤなのです。

「信じられぬと 嘆くよりも 人を信じて 傷つく方がいい」
という古い歌の歌詞がありますが、わたしは先に「信じる」から入りたいのです。もしその子が期待に応えてくれていたらこんなに嬉しいことはありませんし、裏切られても自分が少し悔しい思いをするだけです。そしてその悔しさの中「次はこうしてやろう」とひそかに闘志を燃やします。

ただ、わたしも人の子なので、裏切られることが多くなると、心に小さな疑念が湧いて純粋に「信じる」から入ることはできないことも多くあります。

しかし「信じ『ない』」ではなく、少なくとも「信じ『たい』」のです。

こう書くと、何か「キレイごと」とか「子どもを神聖視しすぎ」だとか思われそうですが、そうではありません。
子どもは純粋無垢でないことはわたしも分かっているつもりです。
わたしのこの「信じたい」気持ちは、「その子」や「自分の指導」との、ある種「格闘」とか「賭け」のような感覚に近いのです。
先に「信じない」のは、この格闘や賭けにはじめから負けている気がしてしまうのです。

わたしはこれからも、この「信じたい」気持ちを持って日々格闘していきたいと思います。

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